1. 旅の僧 (3’25”) 2. 花の精 (5’40”) 3. 夜 (3’55”) 4. 東雲(しののめ)(5’20”) ---------- 謡曲「杜若(かきつばた)」をもとにした和合亮一の書き下ろしテキストによる。かきつばたの花の精である女が、菩薩の化身である在原業平の歌に詠まれたことで、草木の身でありながら成仏できたことを歌う。生きとし生けるものは皆成仏する定めがある・・・というこの謡曲の思想は、混沌とした現代社会において尚一層、救いの光を放つ。謡曲の味わいを音に残しつつ、フルート(ピッコロ)とソプラノソロを用いて劇的に纏め上げている。全4曲。 グレード:中〜上級 演奏時間:約18分20秒 <まえがき> 今、初校をチェックしながら、なんとも「執拗」な作品をものしたものだとあらためて思うのである。それは委嘱者の藤井百合子さんの魂がテキスト作者の和合亮一さんに、そして作曲者の私に乗り移ったように感じられてならない。 藤井さんは謡曲にも華道にも通じておられ、委嘱のお話をされた折、能の<杜若(かきつばた)>の合唱化について熱っぽく語られるのであった。私はと言えば、能の演目を女声合唱に仕立てることの可否を不安に思いつつお話を伺っていたのだが、結局は和合さんのテキストがその不安を吹き飛ばしてくれた。 四つの段=章はおのおのの性格をはっきり持ちながら、全体は一貫した流れの中にある、いわば交響組曲のような作品に仕上がった。 ソプラノ独唱は実は作品をお渡しした後でのご注文であった。無理だろうと思いつつやってみたら、まるで最初から予定されていたかのように独唱が見事にはまり込んだ。これも藤井さんの熱意・執念の賜物かもしれない。 初演は大変に「熱い」ものとなった。指揮したのは私だが、初演合唱団の秀れた指導者でソプラノ歌手の荻野砂和子さんの入念な下ごしらえあってのことだった。 かえすがえす残念でならないのは、藤井さんが初演の2ヶ月ほど前に旅立ってしまわれたことだ。お体の不調を語られたことがあったが、まさか、という思いであった。 思えば能の主題は成仏できない死者の霊が「主人公」である。杜若の精が僧の前に顕われ、一夜を舞い、そして去っていく。初演時、藤井さんの御心はステージに降りていらしたに違いない。初演をしかと確かめられ、安らかにお帰りになったことと思う。 この作品を百合子さんの御仏前に捧げることを、生前の様々な御縁への感謝と共にここに記しておきたい。(新実徳英)
新実徳英
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