1. 太陽のほとり (4’25”) 2. 私の前にある鍋とお釜と燃える火と(無伴奏) (4’55”) 3. シジミ (5’00”) 4. 挨拶 (5’05”) 5. 空をかついで (4’50”) ---------- 石垣りんの詩による女声三部合唱作品。女性であることを卑下もせず、また逆に尊大にもならず、あるがままの個としての主張が全編に息づいている。重く硬派な内容を持った組曲であるだけに終曲の美しさ・癒し感が一層際立つ。現代に生きる女性に共感をもって受け容れられるだろう。 グレード:中級 演奏時間:約24分15秒
<まえがき> 2016年、私は、石垣りんさんの詩をテキストに、組曲《雪崩のとき》を書いた。家族のために働きながら、詩を書き続けた彼女は、戦争、貧困、女性に対する差別的な眼差しなどとの『戦い』を、詩にしたためた人である。 この曲を書くとき、私の中にある作曲のエクリチュールは全て『石垣りんの世界を表現するため』に使われた。 音楽は無論、主張するが、言葉に対して100パーセントの親和性が全作品を貫き、言葉を常にリスペクトし続ける存在である。
1. 太陽のほとり 組曲の冒頭には、明るく放射的なイ長調を置いた。この詩において、言うまでもなく「太陽」は「神」であり、希望の光である。命の躍動、生きることへの賛美が高らかに歌われる。
2. 私の前にある鍋とお釜と燃える火と この曲のみ、2017年に国立音楽大学附属中学校合唱部のために書いた曲である。この曲のみア・カペラ。女性の生き方と、社会での位置付けについて、女性だからこその視点で繰り広げられる主張。令和の現代、1959年に出版された同名の処女詩集に収められたこの詩の時代とは隔世の感があるが、だからこそこの詩をうたう意義があるのだと思っている。
3. シジミ 名詩である。人間の慢心を、シジミという媒体を使って表現している。曲は、謎めいて、そして、ユーモラスに進行する。 鬼婆、それは作者石垣りん、そして私そのものだが、歌い手誰もが「鬼婆」の顔を持っているのではなかろうか。 生前、テレビ番組で「私はね、『鬼婆』なんですよ」と語っていた石垣さんを偲びながら、書いた曲である。 ユーモアを忘れないように演奏していただきたい。
4. 挨拶 ― 原爆の写真によせて この詩もまた素晴らしい。美しく、油断する私たち市民のもとへ、不穏な時代は音もなく、狡猾にやってくる。 1952年、終戦のたった7年後に、石垣りんは私たち後世の人間たちに強く、激しく警告している。 私たちは、これらの言葉をきちんと受け止め、反省し、行動に移しているだろうか。
5. 空をかついで 石垣りんらしい、美しく、温かく、深い詩である。 私は、2018年11月、南伊豆町にある石垣りん文学記念室と、同町子浦にある彼女の墓を訪れた。そこで、石垣りんという人を、それまでより深く理解することができた。その日の伊豆は小春日和で、石垣りんが愛した南伊豆の地は、どこまでも優しかった。 この曲は、その風景を音楽にしたものである。石垣りんが愛した南伊豆は、石垣りんそのものであったと、私は思う。
最後に、この曲を書かせてくださったBrilliant Harmony のメンバー一人ひとりに、そして、初演のピアノを見事に表現してくださった前田勝則さんに、最大の感謝を捧げたいと思う。(松下 耕)
松下耕
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