Ave Maria (5’40”) ---------- 祈りの作曲家が目指す、現代の「Ave Maria」。 この曲は、ラテン語の典礼文に加え、作曲者自身の言葉で日本語詩が添えられている。日本語詩をいれることにより、新しい「Ave Maria」が完成した。 <まえがき> 「Ave Maria」の作曲の依頼を受け、私なりにどのような作品にしようかと模索を繰り返していたそんな折、「地球を生きる子どもたち」という写真展で一枚の写真に出会いました。「(エチオピアの)難民キャンプで瀕死のわが子を抱く母親」と題されたその写真に私は涙しました。涙の枯れきった母親の虚ろな瞳、祈ることに疲れ果て呆然とした表情。手は子どもの頭の上に添えられています。その姿は“子どもが安らかに天に召されますように”と願っているようにも見えます。子どもの身体は限界までにやせ細り、目だけは大きくまっすぐカメラを向いています。その母と子の図は私には聖母マリア像と重なりました(子どもはその日のうちに亡くなった、とテロップにありました)。 その写真と出会ったことで「戦争で流された母の涙は海の水のごとく」という言葉を得、ラテン語の典礼文を交えてテキストとしました。 人間の世は常に平和への祈りの声で満ち満ちています。聖母像を観ていると「ただただ祈りなさい」と慈しみをもって語りかけているようにも思います。常に争いや戦争の現世界にあって、せめて祈ることしか出来ないとしたら、私はこの作品をもって私の祈りとしたい、と思いました。(鈴木憲夫)
鈴木憲夫
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