コズウォフスキ(コズロフスキー):レクイエム(原典版)
※録音:2023年4月7、8日/エスプラネード・コンサート・ホール(シンガポール) [49:17] ---------- ユゼフ・コズウォフスキ(1757-1831)はモーツァルトより一歳年少のポーランド出身の作曲家。ペテルブルグ宮廷で活動したためオシップ・コズロフスキーというロシア名の方が知られています。 23歳でロシアへ移り露土戦争に将校として従軍しますが、その後宮廷音楽家となりオペラや舞曲を作曲。ロシア宮廷にポロネースを流行させ、チャイコフスキーのオペラ「スペードの女王」にも引用されるほどでした。レクイエムはロシア在住だったポーランド・リトアニア連合最後の王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキが自身の葬儀用に生前委嘱し、1798 年に使われました。ポーランドは1795 年にロシア、ドイツ、オーストリアによる三国分割で地図上から姿を消したため、コズウォフスキにとっては祖国へのレクイエムでもあったといわれます。その後1825年、ロシア皇帝アレクサンドル一世の葬儀で再演されました。レクイエムはカトリックの鎮魂曲でロシア正教では使用されませんが、アレクサンドル一世はポーランド王も兼ねていたためとされます。その際コズウォフスキはオーケストレーションと合唱を厚くしてドラマ性を増し、数曲追加しました。それが今日伝わる版となっています。この版はシンガポール交響楽団の芸術監督ハンス・セレンセンが2018年にCDで聴きぜひ自分たちの団体で演奏したいと思ったのがきっかけでした。ようやく楽譜を入手するもパンデミックで演奏会ができなくなり、さらに当初予定していた指揮者ヴェデルニコフもコロナの合併症で2020年に急逝してしまいました。ようやく実現のめどが立ち、指揮を執ることになったハンス・グラーフは慎重に原典稿へ戻す作業を行いました。モーツァルトの名作の7年後に作られたこの作品、ウィーン古典派風でありながらスラヴ的な色彩も感じられ、最後は無へ消えてゆくはかなさがいろいろ考えさせられる内容となっています。
オリガ・ペレチャトコ(ソプラノ)、オレーシャ・ペトロワ(メゾソプラノ)、ボリス・ステパノフ(テノール)、クリストフ・ザイドル(バス)、ハンス・グラーフ(指揮)シンガポール交響楽団、同合唱団、同児童合唱団/Peretyayko, Petrova, Stepanov, Seidl, Singapore Symphony Orchestra, Hans Graf
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