ヨハン・ヘルベック:大ミサ曲 ホ短調
※録音:2014年9月/レゲンテンバウ・バート・キッシンゲン、マックス・リットマン・ザール(ライヴ)バイエルン放送との共同制作 ---------- ヨハン・ヘルベック(1831-1877)は、ウィーンに生没したオーストリアの指揮者・作曲家。12歳のときにシトー会修道院の聖歌隊員になり、ピアノのちに作曲も学びますが、1847年にはウィーン大学で哲学と法律を学び始めるも途中で放棄、1852年にウィーンの聖歌隊長に就任したのを皮切りに、ウィーン音楽院教授、ウィーン楽友協会合唱団の監督を経て、ついにはウィーン宮廷歌劇場総監督(1870-75)にまで上り詰めています。なによりこのヘルベックの最大の功績といえるのが、ヒュッテンブレンナーよりシューベルトの「未完成交響曲」の手稿譜を紹介された際に、その価値を認め、1865年の初演に寄与したこと。また、1868年にブルックナーがウィーン音楽院の対位法の教授に任命される際に尽力したのが、その才能を高く評価していたヘルベックでした。このほどヘルベックのミサ曲をリリースするゲルト・シャラーは、キャラガン校訂稿を使用した「ブルックナーの交響曲集」や、同じくキャラガンが補筆完成とオーケストレーションを施した、「シューベルトの『未完成交響曲』4 楽章版」をレコーディングして話題を集めてきた実力派の指揮者です。ブルックナー、シューベルト双方にゆかりの深いヨハン・ヘルベックの作品にゲルト・シャラーが着目したのもユニークですが、ヘルベックの作品の録音そのものがほとんど皆無といってよい状況だけに、このたびのアルバムの登場は価値あるものとおもわれます。作曲家としてはほぼ独学であったヘルベックは、交響曲4曲や室内楽曲なども手掛けていますが、ゲーテの「ファウスト」やシラーの「ヴァレンシュタインの陣営」への付随音楽のほかに、男声声楽曲101(うちア・カペラ71)、混声合唱曲49(うちア・カペラ42)とパート・ソングを主体に、独唱曲も53曲とかなりの声楽曲を残しています。このような突出した声楽作品の数は、このジャンルにおける当時の影響力の大きさを示してもいるようです。同様に、宗教声楽曲も充実していて、ヘルベックはまた7つのミサ曲、7つのオッフェルトリウム、3つの詩篇、7つの聖歌、オラトリオなどを書いており、ようやくヘルベックの代表的ジャンルともいえる声楽曲に光があてられることになります。
ヴィーラント・ホフマン(オルガン)、ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団、アンドレアス・ヘルマン(合唱指揮)、フィルハーモニー・フェスティヴァ、ゲルト・シャラー(指揮)/Gerd Schaller, Philharmonie Festiva
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